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ふなずしは食の絶滅危惧種?幻の食となるのか?総本家喜多品老舗

1000年以上の歴史を持ち、昔は滋賀県民の食卓にも並んでいた郷土料理が、現在では原材料のニゴロブナの激減や、ふなずしの作り手の減少、ふなずしを食さない生活環境の変化等によって、食の絶滅危惧種的な存在となっています。
昔は滋賀県内にふなずし製造を専業としていた業者もたくさんあったのですが、今現在では数えるほどにまで減ってしまいました。
そんな中、非常に衝撃的な出来事として、あの総本家喜多品老舗が廃業とのニュースが入ってきたのが2012年の春。総本家喜多品は1619年創業。まもなく創業400年を迎える、滋賀のふなずし業界における顔ともいえる老舗が廃業してしまいました。

総本家喜多品老舗とは?

喜多品は400年引き継がれてきたその製法にもこだわりがあり、千日漬けを基本としています。
初春に琵琶湖で揚がったニゴロブナを2年塩漬けして、その後本付けを1年行い、計3年をかけてふなずしを作り上げます。これを千日漬けと言い、百匁百貫千日とも言い表されます。百匁百貫千日とは、

させます。塩切から本付けまでの全工程を約1000日かけて丁寧に作り上げることからこのように言われています。
喜多品は創業の1619年からずっとこの製法を守り続けており、使用している100貫桶も100年以上使い込まれている古い物です。
江戸時代から蔵や桶に棲みついた良質の乳酸菌や、高島というふなずし作りにかかせない米と水にめぐまれた環境や気候等が相まって、名品と呼ばれるふなずしを400年間作り続けることができました。
ふなずしの写真で良く目にする、スライスされたふなずしの切り身が綺麗に同心円状を描いた盛り付け方は「巴盛り」と言われ、これは喜多品が考案したともいわれています。

何故廃業に?

そんな老舗が廃業というニュースは滋賀県民やふなずしファンにとっては非常にショッキングなニュースでした。
製法、原材料にこだわる喜多品だからこそ、琵琶湖産の天然ニゴロブナだけを使って、時間や手間暇をかけて丁寧に作る為、1尾1万円とう高価なものとなり、庶民が日常食として口にするような物ではなくなってきました。
また最近では、ふなずしの臭いがどうしても苦手という人の為に、本付けの途中で発行した米を一度取り除いて、再度ごはんで本漬けするという二度漬け等の手間もかかり、事業経営的にも非常に厳しい状況となっていたようです。

廃業から再開への大逆転

が、しかし!2012年春に廃業した総本家喜多品老舗が、なんと再開する!という嬉しいニュースが飛び込んできたのが廃業から4年の月日が流れた
2016年の春。和菓子メーカーの叶匠壽庵が全面支援する形で復活を成し遂げました。
17代目の北村真一氏は現場を離れ、18代目にあたる娘の真里子氏と娘婿の篤史氏によって再出発となりました。再開日は11月27日、1127=イイフナの日。
廃業後、娘夫婦一家は、夫一篤史氏の故郷愛知県に引っ越していましたが、叶匠壽庵会長の故芝田清邦氏の支援の提案を受けて、高島に戻り再開にこぎつけました。
娘婿の篤史さんは、喜多品に婿入りして、先代の17代の下で約12年間、ふなずし作りを現場で学び続けてきました。
更にうれしいことに、中学生の息子さんは19代を継ぎたいと言っているようで、まもなく創業400年を迎え喜多品は、さらに500年、600年と未来永劫、ふなずしを伝え続けていってくれることに期待したところです。

ふなずしが1000年続いた訳

私自身も小さい頃から気づけば普通に食卓にあったふなずしの事をそこまで深く理解せずにいたのですが、なぜふなずしが滋賀で1000年間も続いてきたのか、それは琵琶湖があってニゴロブナがいたから、という単純な物ではなく、おいしいお米があり、きれいな水があり、塩の流通経路があり、発酵に適した気候や風土環境があり、そこに近江/滋賀の気質や人々の思いが重なり、1000年はぐくまれてきてきたのです。
そのような1000年の時間の先っちょに、おばあさんがつくってくれたふなずしを小さい頃から食べていた自分自身がいるということが理解できた時、このふなずしの1000年は偶然でもたまたまでもなく奇跡なのだと気づきました。
そんなふなずしが消えてしまいそうな状況において、この喜多品復活のニュースや、お子さんがすでに19代を継ぐと言っていることなどを知った時、本当に泣けてきました。

最近では滋賀県の環境保全運動等も少しづつ効果が出始めていて、ニゴロブナも少しづつですが漁獲高が回復しているようです。
滋賀県民の庶民的な郷土料理から、非常に高値な嗜好品になってしまったふなずしですが、いつかきっと昔のように、滋賀県民の家庭の食卓に普通にふなずしが並ぶ日がもどってくることを信じたいと思います。
あの暑い梅雨明けの夏に、おばあさんと一緒にフナを炊いたご飯と一緒に木桶に漬けていたあの頃の思い出は、忘れることのない、私の大切な一生の思い出です。そんな食文化を、これから先もずっと絶やすことなく大切に引き継がれていってほしいと切に思います。